今日という日の記録

森沢明夫さん「エミリの小さな包丁」/ 子どもや孫が何かに疲れて帰って来た時は

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最近は、心が少し疲れているのか、読み進めるのが難しい本が増えてきました。

面白そうだなと読み始めるものの「これは、読んでいると辛くなるヤツだ」と思うと、読み進めることができなくなるのです。

主人公が、どんどんと悪事に染まっていき、最後に救いもなさそうだと思うと、そっと閉じてしまいます。

このところ、そんな本が数冊続きました。

そんな中、表紙に誘われて読み始めた1冊。(無料だったからというのは内緒)

森沢明夫さん「エミリの小さな包丁」

 Amazon BOOKデータベースより恋人に騙され、仕事もお金も居場所さえも失った25歳のエミリ。15年ぶりに再会した祖父の家に逃げ込んだものの、寂れた田舎の海辺の暮らしに馴染めない。そんな傷だらけのエミリの心を救ったのは祖父の手料理と町の人々の優しさだった。カサゴの味噌汁、サバの炊かず飯。家族と食卓を囲むというふつうの幸せに触れるうちに、エミリにも小さな変化が起こり始め…胃袋からじんわり癒やされる、心の再生を描いた感動作! --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。

この方は著名な作家さんだったのですね。知らずに失礼しました。

小さないいことを思い出して、いい気分をしっかり味わう癖がだんだんついてきたら、なんだか吹っ切れたっていうか。

別に嫌なことがあったっていいじゃん。そんなのふつうじゃんって。もっと言えば、落ち込んでもいいじゃん、泣いてもいいじゃん、でも、身の回りには、ちゃんといいこともあるじゃんって、そう思えるなってきた感じかな。つらいときは、身の回りの小さな幸せを眺めて、いい気分を味わっていればいいんだし。

 

事情を知らない人たちに、人生の勝ちを勝手に判断されて、しかも、そのいい加減な判断結果に従うような人生を送るハメになるなんて、道理に外れるし、何より気分が悪い。

 

心が美しく保たれていることー。日本人てのは、昔から、その状態こそがいちばん自然で、気分がいい状態だと考えていたんじゃないかな。

世界は変えられなくても、気分は変えられる。

周りを変える必要なんてない。自分の『うら(心)』変えれば、それがそのまま自分の人生を変えるってことだからな。

心に残った文章を抜粋してみました。

 

『他人や過去は変えられないけれど、自分と未来は変えられる』

最近のモットーです。ちょっとリンクしているかな?

子どもや孫が何かに疲れて帰って来た時は

いつか、子どもや孫が何かに疲れて「おかあさん」「ばばちゃん」とやって来るかもしれません。

その時は、何も訊かず何も言わず、美味しいご飯を作って食べさせてあげたい。読み終えた後にそんなことを思いました。

私にはもう帰る家がなくなってしまったので、帰る家があって、待ってくれている人がいる。

それってありがたいことだったのだなぁとしみじみ。なくしてから初めて気が付く大切なもの。

そういえば、次々とモノを捨てているけれど、後悔しないのかしら?私。

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