今日という日の記録

もし【姑】という立場になった時、賢明な姑になれるだろうか

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先日、子の同級生のお母さんに遭遇。数年ぶりか。

どうしてた?元気?

そんな挨拶から始まり、お互いの近況報告。

1年ほど前に、実母さんとご主人が癌で相次いで亡くなったと聞かされた。仲の良いご家族だったので、辛かっただろうな。

なのに、そんなことを感じさせることなく、相変わらずほんわかと気持ちのいい女性のままだった。

今は、息子さん夫婦と2世帯住宅で同居しているという。

賢明な人

お嫁さんが良い人なのよ。

辛かったり悲しかったりした時も、色々と助けてもらったの。

私は、お姑さんに色々言われて怖かったから、お嫁さんには同じ思いをさせたくなくて、何も言わないの。手も出さなければ口も出さないの。

賢明な人だと思う。

私の姑だった人は、自身が姑から心無い仕打ちを受けてきたので、あなたも私の言うことには従いなさい。それが嫁というものなのよ。と言いたい放題やりたい放題の人だった。

それもあって、ある日、我慢の限界に達した私はあの家を飛び出した。

息子である元夫だった人は、持ちビルの跡取り息子だけれど、あの時は、そんな損得勘定は考えなかった。

とにかく逃げたかった。今、全く後悔していないかと訊かれれば、私の方が長生きするのだから我慢していた方が良かったかな?という考えも頭をよぎる。

だが、お金はないけれど今の自由な生活には満足している。

そして、そんな姑は存命中。

嫌な姑にはなりたくない

息子は、人の人生の責任を負いたくないから結婚するつもりはないと言う。

別にそれでもいいと思う。とりあえず上場企業勤務だし、東京に戻っても住む所はあるわけだから、お金の心配をせずに好きに生きればいい。

もしかしたら、今後、結婚したいと思える相手に出会うかもしれない。そして結婚するかもしれない。

そうなったとしても、私が一緒に住むことはないだろうから、意図せずに嫌な姑になってしまう心配はないかな。そうありたい。

 

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