今日という日の記録

母の日に思いを馳せる

広告

冬、兄と数年ぶりに会った際「この写真見たことあるか?」と、財布から取り出して見せてくれた数枚の写真。

若い頃の両親の写真です。その内の1枚を譲り受けました。

私が赤ちゃんだった頃、火事になったのに残っていたんだね。

ずっと財布に入れていましたが、今日取り出して見ました。

当たり前ですが、両親にも若い頃があったわけで、不思議な思いです。

両親は既に亡き人となっています。

 

母は、生まれてすぐに何らかの事情で、私の伯父と共に裕福な親戚に引き取られたと聞きました。

そのことを知ったのは、いつのことだったか記憶にはありませんが、母は自分が子どもだった頃のことをほとんど話してはくれませんでした。

唯一聞いたのは「周りの子どもがボロを着ていても、いい着物を着せてもらっていた」ということです。

それを聞いて、実の親ではない人に育てられても、不幸ではなかったのかな?と思っていたのですが、私が大人になってから「結婚するまでは幸せだったんだね」と訊くと

「その話はしたくない。墓場まで持っていく」

と言ったのです。

いい着物を着せてもらっていても幸せではなかったのだと思い、二度とその話には触れませんでした。

 

母が癌で入院・手術をした際、遠くに住んでいた伯父が、1か月以上も母の側に付き添っていました。

私は、その姿を見た時に、この兄妹はずっとお互いを支えとして子ども時代を生きてきたのだなぁと思い至ったのです。

その伯父も、母の後を追うように病気で亡くなりました。

 

最近、母のことをよく考えます。「親孝行したいと思った時には親はなし」とはよく言われることですが、正しくその通りで、仲の良い母娘ではありませんでしたが、もっと優しくしておけばよかった、もっと助けてあげればよかった。と今になって後悔しています。

私と娘の関係も良好ではありません。

孫が生まれた時、夫さんはとにかく大変な職場で働く人なので、育児に関して娘のワンオペになることは目に見えていました。

おそらく、娘の精神がそのワンオペに耐えられないだろうと判断し、私から手助けすることを申し出て、3年近く同居しました。

その後、夫さんの海外赴任が決まり、扶養家族ではない私は東京に残ることになりました。

現在、娘からは滅多なことでは連絡がありません。もしかしたら、私から離れることができて清々しているかもしれません。

母の日だからと言って、何かがあったわけでもありません。

私が自分の母親にしてきたことです。娘に対して何かを期待しているわけではありません。因果応報かな。

それで良しです。

そんなことを思った母の日でした。

広告