今日という日の記録

これでいいのだろうなぁと自分を納得させる

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月曜日、ちょっと早めに仕事納め。そして9連休開始。

一人の年末年始なので、取り立ててすべきこともなく、もう十分というほどゲームをして過ごそうかな?と考えていたが、孫守が待っていた。

連休初日の昨日は、娘夫婦が健康診断ということで孫を預かった。

孫人生初の映画館へ。どこへ行くのか内緒のまま映画館に連れて行った。

そして、これから観ることになった映画名を知って大興奮。ロビーでキャラメルポップコーンを見つけて「これ、食べてみたい」

どうやら、キャラメルポップコーンも初めてだったようだ。「美味しいねー」と手が止まらない。

映画が終わった後は、娘たちとの待ち合わせまで時間があったので、某家電量販店へ。

事前に、すごく高いものでなければ買ってあげても良いとの了承を取っていたので、欲しがったおもちゃを数点購入。

おばあちゃんは、自分のことには極力お金を使わないのに、孫には散財を惜しまない。これって普遍なのかしらね。

 

夜は、娘家族と息子と元夫と食事。元夫も孫のために絵本やら何やらを買ってきていた。

お会計は元夫。当たり前のように「ご馳走様でした」という娘夫婦。まぁ、息子も私も言ったけれど。

何だか、ちょっとやりきれない気持ち。

帰国してから数回顔を合わせているけれど、その際の出費はほぼ元夫と私持ち。以前からそんな感じだ。

それを嫌だと言っているのではなく、私も好きで出しているのだから、文句を言う筋合いではない。

しかし、当たり前のような顔をされたのが嫌なのだろう。それとも、そう感じてしまう私の方がおかしいのだろうか。

そこで

「いいよ、私達が出すよ」

「いいのいいの、俺が私が出すから」

「ありがとう、ご馳走様でした」

という会話があれば、気持ちも違ったのかもしれない。

世の親達、子ども達にとっては、親がお金を出すのが当たり前なのだろうか。出せない金額ではないし、惜しいと思うわけではないけれど、ちょっと分からなくなっている。

以前は、そんなことを感じたことはなかったのだけれど、先日「面倒をみるつもりはない」と敢えて宣言されたことで、それがちょっと引っかかっているのかもしれない。

今後、子育てをしていく若い世代にとっては厳しい時代になりそうだ。それを考えると、死んでいくだけの老親にお金を使う必要はないとも思う。

だから、少しの寂しさを感じながらも、これでいいのだろうなと自分を納得させる。

 

  

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