今日という日の記録

元夫を𠮟る / 息子に対して感じてしまう不安

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昨晩は、息子と元夫と3人で食事のはずが、そこに元夫の知り合いが2人同席した。

息子も私もそんなことは聞いていなかったので、呆れてしまった。

ちょっと真剣に話したいこともあったのに、どうしてそこに他人が2人も同席するわけ?

その知人という人から「今日、飲みに行こう」という誘いがあったということなのだけれど、そこで「今日はこうこうだから」と断らなかった元夫が一番悪いわけだが、だったらと遠慮をしなかった人にも呆れたわけだ。

もし次があったらだけど、もうこういうことは止めてね!と釘をさした。

 

そろそろ70歳になる元夫は、実家での生活と家族関係、そして身体的なことから、これからの生活に不安を感じており、私に助けを求めているようなのだ。

一言では片付けられない複雑な事情があり、そこからくる不安に関しては分からないでもない。

今、不安を感じているのであれば、その時が来た時に慌てないで済むように、今から時間をかけて準備をすればいいのに、それをしないで「困った」と言うだけ。

そして私に助けを求めてくる。

「だからね」と、少々強い口調でいさめてしまった。

息子と元夫との3人だったら、これからのことに関して、もっと突っ込んだ話ができたろうに、その話をしたかったのに。

私の中では、子ども達に頼った年金生活にならないよう、もしかしたら2人で助け合って生きていった方がいいのだろうか?という多少の思いはあった。

だが、昨日の件で考え直すことにした。頼られるだけで、頼っていい人ではないのかもしれないという考えがよぎったのだ。

まぁ、この先何があるのか分からないのが人生。

私は私にできる準備はしておこう。

 

息子は、社内での地位は下のランクだけれど、それでも一応は名の通った上場会社で働いている。

そして、年収等はさておき、仕事に関しては大した不満はなく、辞めようなどと考えたことは無いそうだ。

その点に関しては安心している。だが、精神的に不安定さを感じさせる言動があり、それが心配でしかたがない。

もう、30歳近い大人なのだから「放っておけ」という心の声。分かっている。どうしてあげることもできないのだから。

でも親だから。何歳になっても子どもは子どもだから。

私自身も、何歳になっても心配事から解放されることがない。

こんな時、こういったことから解放されるのであれば、もう人生の幕引きしたいなと思ってしまう。

いやいや、弱気はいけない。

今までも何とかしてきたのだから、これからも何とかしていきましょう。

 

  

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