今日という日の記録

子ども孝行の親

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母は70歳を過ぎてから膵臓癌であることが分かりました。

姉も兄も私も手術しなくてもいいんじゃない?と言ったのですが、父は頑として手術を主張しました。

そして術後の辛いリハビリと抗がん剤治療、胃瘻の末、手術後3年もせずに亡くなりました。

私は最期に間に合いませんでしたが、子どもや孫、支えあって子ども時代を生き抜いた伯父に囲まれて息を引き取ったようです。

亡くなってから、父は手術させたことを後悔しているようでした。辛い思いをさせただけだったなぁと。

その父も、それから2年ほどして病院で亡くなりました。

父の場合、入院中の早朝に一人でトイレに行き、そこで転倒して頭を打ち、しばらくしてから看護師さんが発見したのですが、その時は既に亡くなっていたようです。

誰にも看取られなかった寂しい最期です。

 

両親が相次いで亡くなってしばらくしてから、姉が言いました。

「子ども孝行の親だったね」

私は東京で仕事もしていたので、頻繁に帰ることも出来ず、母の世話は姉と兄、そして父に任せっきりでしたので、何も言えませんでしたが、そうなのかもしれません。

父も、入院するまでは、生活も田んぼの世話も一人でこなしていました。

だからこそ出てきた姉の言葉だと思います。

 

私も「子ども孝行のお母さんだったね」と言ってもらいたい。

そんな最期を迎えることができるでしょうか。

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