今日という日の記録

「ああ一人だ」と感じ、その孤独感から涙があふれる

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年が明けて、今年は、目標を立てずに過ごそうと決めていた。

年頭に目標を立てても、相当に律しないとグズグズになってしまい、1年が終わるころには、何一つ達成できず「もう私は本当に駄目な奴だ」と落ち込むことを繰り返してきたから。

もう自分で自分を縛るのは止めて、達成できない自分を嫌悪するのは止めて、気楽に生きていこうと決めた。決めたはずだった。

 

年始の仕事始めは精神的に辛いと感じた。段々と、この職場に居場所がなくなってきているような感じ。

誰かに何かを言われたわけでも、意地悪をされたとか嫌がらせをされたというわけでもない。

ちょっとした一言、ちょっとした行動で読まなくてもいい空気を感じてしまったということだろうか。

今まで「辞めたい、辞めてやる」と思っていたのに、意地でも辞めてやるものか!と思ってしまった。

人は開き直ると強くなれるものなのだろうか。

 

赴任地から一時帰国していた娘家族との距離も感じた。「面倒を見るつもりはないから」と言われたことで、何かがスーッと引いていった。

職場でも、娘家族といても「ああ一人だ」と感じ、その孤独感から涙があふれる。

今まで、こんなことで涙が出たことがあっただろうか。

一人がいいと思って、自らいろんな人間関係を断ち切ってきたはないのか。この涙は自業自得から出たものだ。

 

一人で生きていくと決めても、心のどこかでは、いざとなったら誰かが助けてくれるという甘えた考えがあったのは否めない。

その気持ちを捨てなくては。甘えを断ち切らなくては。

そして一人で生きていく上で必要なのはお金。何をいまさら。

一人で生きていくということは不安との戦いでもある。お金は、その不安を解消してくれる一つの手段。

何とかなると思い、何とかしてきたので、お金に対してそれほどの執着心を持たないで来た。

目標は立てないおこうと思ったが、今年はもっとお金に執着心を持つことに決めた。

少しでも収入を増やす手立て、少しでも支出を減らす手立て。

まずは、しばらくサボっていたお弁当を再開しようか。

 

 

 

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