ブログを読んだり、Youtubeで動画を視聴したり、仕事をしている時でも、お金ってあるところにはあるんだなぁと、つくづく感じる。
自分自身と比較してしまい、勝手に落ち込んだりする。
頭では分かっている。今の私のある姿は今までの生き方の結果だと。まぁ身から出た錆というのか、何も考えてこなかった結果だと。
それでも、嫌になってしまことも多い。
一層のこと、世間の情報をシャットアウトしてしまうかなどと、極端なことまで考える。
いや、それは駄目だ。生きていくうえで必要な情報まで見逃してしまう可能性も大だからな。
などとウダウダ思っている時に、子ども達が小さかった頃のことに思いが飛んだ。
あれ買って、これ買って。
あれがやりたい、これがやりたい。
その理由を訊くと、大抵は「みんな持っているから、みんなやっているから」
その気持ちが分かる時は「分かったよ」と言うことが出来たのだが、半分くらいは「よそはよそ、うちはうち」と言って、却下することもあった。
そのせいなのかどうなのか、裕福ではないけれど、貧乏でもなかったのに、特に娘は「家は貧乏なんだ」と思い込むようになってしまったように思う。
今思えば、可哀そうなことをしたかな?とも思ってしまう。
欲しがる物を何でもかんでも買い与えるということではなく、もう少し柔軟で緩くても良かったのでは?と思うのだ。
過ぎ去った時間をやり直すことはできないけれど、今すぐにでも生まれ変わって人生やり直したい。無理だけどな。
どうしたって人を羨む気持ちを無くすことはできない。
できないけれど、それこそ「人は人、私は私」と割り切るしかないのだ。
もしかしたら、世間には、私のことを羨ましいと思っている人だっているかもしれない。
「かもしれない」であって、お目にかかったことはないし、こんな生活のどこが羨ましいのだ?とも思うがね。
とにかく、人を羨ましいと思う前に、現実を見据えて残りの人生を生きていくしかない。
お金が無いなら無いなりに頑張って生きていこうではないか。